青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

奥渋にルーツを訪ねる旅

やつがれが生まれ育った場所は、
最近は「奥渋」と呼ばれて、大層賑わっているんだとか。

そこで、ルーツを訪ねる旅に行ってまいりやした。

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先ずは、代々木八幡の近くの元代々木町。
ここが、父が中学生まで生まれ育った家があった場所。

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そこから井の頭通りを渡って、代々木深町交番の先、
富ヶ谷のこの辺りが、やつがれの生まれ育った場所。

目の前が、ワシントンハイツ。今は、代々木公園。

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やつがれは、小学生時代、毎日この光景を目にして、
今は名前が変わってしまった大向小学校に通っておりやした。

大向小学校は、おおむかい小学校と読み、
元々は、現在の東急百貨店本店がある場所にあった小学校。

先の東京五輪のときに、外人に日本の近代性をアピールするため、
国立競技場そばのモデル校として建てられたものでやんす。

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実家の裏の遊歩道。

ここが、小学校低学年の頃までの缶蹴りなどをした社交場。
当時は、ブランコやジャングルジムなどがありやした。

ご近所の家が外観そのままで、流行りのコーヒーショップに。
余りの観光客の多さに、中に入るのを断念した次第。

この後、幼稚園への通園ルートの安倍総理の家を観に行ったら、
家の前の道自体に検問があって警備のものものしさにクリビツ。

友人たちの家も、ほとんどがビルに変わっておりやしたが、
神山町蕎麦屋さんは変わらずにあって、懐かしい限り。

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最後は、鳥竹近くの晩杯屋で打ち上げ。

ここも実は、ゆかりの地。
今は、居酒屋さんでやんすが、元は、画材屋さんがあったビル。

その名も「地球堂」。

家がデザイン関係の仕事で、ケント紙、トレッシングペーパー、
ポスターカラー、スクリーントーンなどの仕入れ先でやんした。

なので、やつがれは学生時代、美術で必要な絵具関係は、
ここで、家の会社につけてもらう掛け売りで入手しておりやした。

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晩杯屋さんは3Fが座って飲めて、禁煙なのが有り難い。
しかも、大人の駄菓子屋という感じの破格の安さ。

バイスにホイスと杯を重ねて連休を謳歌してまいりやした。