各紙で報じられておりやす。
昨年11月に行われた、タイ協会杯決勝で、タイに主審で招かれた吉田寿光氏が、八百長を持ち掛けられたことをFIFAに文書報告したそうでやんす。
やはりという世界の闇に落胆すると同時に、日本人主審の高潔さに誇りを感じやした。
アジアでの戦いでは、どう考えても納得いかない笛を聞くことが、多々ありやす。
02年のW杯でも、某共催国は、見ててこちらが恥ずかしくなるぐらい、やりたい放題でやんした。
スポーツは、どう戦ったかが大事なのであって、勝ち自体に意味があるわけではありやせん。
勝ちに優先する精神土壌が育たない限り、世界から根絶することは無理でやんす。
勝ちだけに価値を見いだしたものは、スポーツではなくなり、単なる興行になるわけでやんす。
サッカーは、世界で一番面白いスポーツであり続けて欲しく、絶対に、興行に成り下がって欲しくはありやせん。
見る者に、そうした思いが強ければ、Jリーグが世界標準となることも、決して夢物語ではないと思いやす。
そのためには、何より、一人一人が、負けを呑み込む度量を身に付ける必要がありやす。
そうすれば、八百長もフーリガンも無くなりやす。
一つの文化を育てるのは、それを支える人々の成長しかありやせん。