青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

ジャッジは絶対でも、主審は絶対神になってはならない

昨晩のCS第一戦は、アウェイのサンフレッズが、鹿島にウノゼロ勝利。

アウェイゴールで、俄然、サンフレッズが有利になりやした。

試合としては、お互いの守りが効きすぎていて、流れからの得点がなく、いささか、盛り上がりに欠けてたのが残念。

というか、守りがガチというより、地味なラフプレイの応酬の結果と見えなくもありやせんでした。

客観的に見て五分五分の戦いで、判定で結果を付けるなら、スコアレスドローが妥当な試合でやんした。

はっきり言って、家本主審が、昨晩の試合をぶち壊したと言っても過言ではありやせん。

あのPK判定は、全く不可解としか言いようのないジャッジでやんした。

試合をコントロールするうえで、鹿島側に、それまでの一連のラフプレイを諌める必要があり、懲罰としての意味を込めてのPKが妥当と家本主審が思ったと解釈しないと理解できやせん。

ただそれでも、ラフプレイはラフプレイとして、個々のプレイへのイエローで示すべきで、色々な要因を合わせてのPKなどが横行しては、興醒めでやんす。

ジャッジが絶対でなければ試合は成り立たないという考えは、受け入れざるを得ないことは理解できやす。

が、主審は、自身を絶対神として勘違いしていけやせん。

自身の考えや思惑を、ジャッジに加味してはならないのでやんす

あくまで、客観的かつ公平な視点から、ジャッジを下さなければなりやせん。

それが、何を差し置いても、ジャッジを絶対とすることができる前提条件となっているわけでやんす。

昨晩の家本主審のPKは、そうした意味において、本来のジャッジの絶対性を逸脱しているものだったと思いやす。

大変、残念でやんした。