中国や韓国の目に余る反日教育のことは考えると、やつがれは、高校時代のことを思い出しやす。
高校生活が始まった頃、やつがれは、どちらか一方に加担するでもなく、AとBの二つのグループと付き合っておりした。
ところが、Bグループは、軟派な遊び方が目立ちがちなAグループを嫌って陰口を叩くことが多くなりやした。
そして、話題は、Aグループ員のことのみならず、そこに居ない者の悪口が主流になってしまいやした。
品位なき者には、そこに居ない者をこき下ろすことほど面白い話題はなく、それはいわば麻薬のようなもので、未来に繋がることは何一つありやせん。
言いたいことがあったら、堂々と皆の前で本人に言えばいいんでやんす。
反論できない者に、自分達の勝手な決め付けによるレッテルを貼って、やり玉に上げる行為は、それに暴力が加わると陰湿なイジメに変化いたしやす。
中国の反日デモの構造は、そんなイジメの成り立ちと同じでやんす。
高校時代、そんなきな臭さを感じたやつがれは、以降、Bグループとは付き合わず、Aグループの主メンバーとなりやした。
そして、仮想敵を作って妄想で過ごすような時間の浪費をすることなく、今を遊び、今を楽しむ高校生活を過ごしたわけでやんす。
自分なりに、良い選択をしたと思いやす。