青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

浦和問題の本質

今日はJリーグ第24節、アウェイの広島戦。

気が付けば、残り11試合となって、
勝点も、ここからは1点1点が、もの凄く重みを増してまいりやす。

本来ならば、東京VS広島の話題といくべきところ、
次の先日の記事に頂戴したコメントに約したことを記そうかと思いやす。
http://blogs.yahoo.co.jp/gyotaro12/37816847.html

掲題の浦和問題とは、サポ同士の揉め事ではなく、ついにスタジアム外で、
相手チーム選手に向かって危害を与えたサポが現れた事件のことでやんす。

浦和には、過去例からも、非常識で過激な行為を行うサポが多いのも事実で、
今回は下手をしたら一般人も巻き込むバス事故の大惨事を招く可能性がありやした。

今後の浦和サポ同士の自制活動を期待するには、本質的なアプローチではなくとも、
大幅な勝点減の制裁を実施するしかないというのが、先日の記事の主旨。

補足すれば、勝点減は、単なる1点や2点といった効力の無いものではなく、
最下位チームと同じになるよう、23点減点するといった思い切った措置が必要。

そうすれば、前田の呪いの怖さとともに強く記憶に刻み込まれることで、
今後お互いに注意し合う、再発防止の自浄活動が根付くことが期待できやす。

ここからが、今回の本論。

浦和問題を本質的に防止するには、無法者を見て見ぬふりして放置せずに、
悪いことには駄目だときちんと制止する精神的土壌を地域に育てる必要がありやす。

そもそも、何故、浦和にそのような精神的土壌が無いのかと言えば、
浦和という地域自体に郷土愛を持った人間が、居ないからに他ありやせん。

浦和は、レッズが好きなだけであって、本来は地域の象徴として愛すという、
地域密着の真っ当な在り方をしていないのが、他地域と大きく異なりやす。

川崎が試合前に川崎市民の歌から入るのが良い例になりやすが、
他のクラブはどこも、地元民の地域を愛する心で支えられておりやす。

自分が生まれ育った大好きな地域ならば、心から誇りに思い、
その大切な地域に、ルール無視の無法者をのさばらせておけないはずでやんす。

地域のルール、慣習、掟は、そこで暮らすための必然とも言い換えられるもので、
それが守られて地域の同一性が保たれ、地域の健全性が守られるわけでやんす。

浦和には、元々住まわれてた方も、もちろんおられるわけでやんすが、
事実上殆どが、高度成長期以降の地方出身者の寝に帰るだけの巣になりやした。

やつがれは、生まれてこの方、ホントに浦和が良いところで大好きだ、
と胸を張って語る者に会ったことがありやせん。

学生時代の友人には、埼玉一の県立高出身者を始めとする浦和出身者がおりやしたが、
いつも自分達の出身地を卑下して、東京を羨ましがってばかりおりやした。

成人式後に、やつがれの成人式は渋谷公会堂で杏里のコンサートだったと言ったら、
浦和なんか、伝統郷土芸能の獅子舞だけだったと、ぼやかれた記憶がありやす。

丁度同じ頃に、「だって埼玉だもん」が短縮されて、「ダサい」と言う自嘲的な言葉が、
標準的な日本語として全国に定着するようになったわけでやんす。

旅行に行っても、横浜や千葉の友達は、堂々と自分の生まれ育った町を口にするのに、
浦和の人は、東京の方からと言う濁し方で言う人が圧倒的でやんした。

彼らからは、東京に住みたいのに高くてしかたないからしょうがなく住んでるという、
なんともイビツで、卑屈で、屈折した地元感しか伝わってきやせん。

そんなことないはずでやんす。

浦和には、文教地域の良さや、川や公園等豊かな晴らしい自然環境もあって、
幾らでも誇りに思える部分はあって、その象徴がレッズでなくてはいけやせん。

浦和に居を構えた親世代からの愚痴を聞かされて、地域を愛せずに育った同輩たちも、
もうとうに、生まれ育った地域に愛着が湧くに充分な時間を過ごしたはずでやんす。

その地域を愛し、その地域に誇りを持っていれば、自分の子供や孫たちに、
自分の生まれ育った地域を誇りあるものとして、引き継がせたいと思うもんでやんす。

そうした思いで、浦和に住む人々が浦和という地域を愛して育てていけば、
浦和に住む人が、本当に浦和を誇りに思うようになる日が来るはずでやんす。

そのときには、今回のような事件は未然に防がれるようになってることでしょう。

本件の本質的防止策は、地域の一人一人の品位の醸成にしかありやせん。