県立高校の教師が、自分の息子の高校の入学式に出るため、自分が1年生の担任を受け持つ高校の入学式を欠席。
そんなニュースが、世間を賑わしておりやす。
巷の意見は、教師としての責任感の欠如として問題ありとする意見と、同じ親として感情的に賛同できるという意見に別れやす。
ヤフーの意識調査では、前者が44.4%、後者が48.0%と、ほぼ真っ二つ。
やつがれから言えば、これを論じてること自体が、無粋の極み。
そもそも、極めて想像力に乏しい校長が、入学式で自分の息子の入学式で欠席なんて発表するから、ややこしくなるわけでやんす。
そんなこと言ったら、絶対に物議が巻き起こるなんてことは簡単に分かること。
ツイッターでもありがちな、言わなくていいことを言ったがために、モノゴトがスムーズにいかなくなる典型的パターン。
教師が自分の担任クラスの初日の入学式に欠席するわけにはいかないのは当たり前。
でも、自身の急病や事故もあれば、身内の不幸や身内に付き添いが必要な急迫の事態もありやす。
自己都合欠席は、普通に起こり得ること。
本件は、事前申請があったそうなので、きっと、申し出時点で、校長は、教師の本分から考えて、新入生の担任欠席は再考を促したと思われやす。
その教師にしても、毎年入学式を欠席してるとも思えやせんし、どうしても諦めきれない思い入れがあったんでしょう。
せれを受け入れた段階で、校長がすべきことは、次の二つ。
今年は担任就任を見送らせるか、欠席理由は絶対口外無用の箝口令を敷いて、自己都合欠席で通すべきでやんした。
世の中は、秘め事があって上手くいってることもあるんでやんす。
何から何まで全てガラス張りにして、見なくてもいいオールヌードを見させられたって、無粋の極みでやんす。
もっと大人にならないと、国は治まりやせん。