今朝の出掛けに、リビングのTVで放映されてた特集をちらと見かけやした。
なんでも、罪悪感を感じながら深夜メシを取ってる若いオナゴが急増中なんだとか。
えぇ~、それが罪悪感って、取り上げ方がおかしくないかい?
罪悪感という言葉が、こんなにも薄っぺらで軽々しい捉え方で使われてることにがっかりでやんす。
やつがれが理解している罪悪感とは、「悔悟の念とともに持つ、社会的、道徳的、倫理的もしくは宗教的に非難されるべきことをしてしまったという認識」のこと。
誰が、いつどこで何を食おうと、それは自己責任の範疇であって、罪悪感も引ったくれもありやせん。
そんなことより、世の中には、若いオナゴによっぽど、罪悪感を持って貰いたいことが、たくさんありやす。
胸や背に当たって不快な、角のある大きな鞄を肩に掛けたままの満員電車への乗車。
濡れた傘を自分の足と足の間に挟まずに、平気で人の衣服に押し付ける電車乗車。
手を携帯いじりにばかり使って、吊革や手摺りにつかまらずに自分の身体を支えない電車乗車。
急停止など想定外の重力が掛かれば、周りの衣服を汚すこと必定の満員電車での化粧。
傘の柄を不安定に腕に掛けたり、尖った先を前後に突き出すようにした危ない歩き方。
手元の携帯やプレイヤーばかり見てて、前方確認せずにぶつかってくる危ない歩き方。
傘を差したままの片手操作や、携帯等をいじりながらや、夜間の無灯火の自転車運転。
などなど。
挙げればきりがありやせんが、残念ながら、そのようなことをしでかしてる若いオナゴの頭の中には、罪悪感なんてカケラも無いんでしょう。
それもこれも、全ては、嫌われたくない一心で、娘を叱れない情けない父親が増えたせいだと思いやす。
父親が娘を叱れなければ、その娘が自分の子供を叱れるわけがないやね。
この国の行く末が、按じられやす。