今から十数年前までは、「やばい」という言葉は、危ないとか、嘘がばれそうとか、状況が悪くなったときに使うもんでやんした。
それがなぜか、カッコイイとか、おシャレとか、美味いとか、180度反対の意味の良い状態のことを指すようになったわけでやんす。
確かに歴史的に日本語は変化しやすい言語でやんすが、まさに、自分が生きている時代に、目の前で起こった用法の変化だと、強く記憶に残っておりやす。
実は最近、「半沢直樹」とかいうドラマでも、まさしく、この日本語の意味の逆転現象が起きておりやす。
「倍返し」とは、本来、不動産取引等で、手付金を貰ってた方が、その非で取引をキャンセルする場合、詫び入れのため、受領済の手付金を倍にして返したものでやんす。
つまり、申し訳ないという謝意を込めて、自分の受け取ったものを倍にしてお返ししたのが、本来の倍返しの意味なわけでやんす。
その後、やつがれ世代の頃は、バレンタインでチョコをくれた娘に対して、倍相当のプレゼントを送り返したもんでやんす。
そのとき、お返しする娘への愛情表現に、若干照れながら、ちょっとカッコつけて、「倍返し」と言って、プレゼントを渡したわけでやんす。
それが、件のドラマでは、自分が受けた酷い仕打ちを倍にしてやり返すという、救いのない意味で使われておりやす。
近代法治国家が禁じた、敵討ちの概念の萌芽と言ったら、考え過ぎかもしれやせんが、そこには、味も素っ気も、夢も洒落っ気も、全く無いわけでやんす。
きっと今後、「倍返し」の意味が変わってしまうと思いやす。
若い人達には、自分が受けた恩恵を返す意味で、バレンタインのような洒落た使い方をするのが本来の用法だったと覚えておいて欲しいもんでやんす。