いよいよ、背水の陣。
とはいえ、守るような戦いでは守りきれるものではありやせん。
窮鼠は、敢えて立ち向かい咬みにいくものでやんす。
窮鼠は、敢えて立ち向かい咬みにいくものでやんす。
東京は昨年まで上位にいたことで、はっきりとは言わないまでも、
我々は強くなったという大いなる勘違いをしていたのかもしれやせん。
我々は強くなったという大いなる勘違いをしていたのかもしれやせん。
それらは全てが、過去の幻想。
それが無くなった今シーズン、ピッチのひとりひとりが、
俺が決めるという強い我を持ったプレイが出ないと、かなりヤバイでやんす。
俺が決めるという強い我を持ったプレイが出ないと、かなりヤバイでやんす。
それを痛切に感じたのは、昨晩84分のゴール前の徳永のプレイ。
サッカーは手以外であれば、顔でも胸でもヘソでも押しこみゃいいんでやんす。
身体ごとででも押し込む気持ちを見せて欲しかったんでやんすがねえ。
身体ごとででも押し込む気持ちを見せて欲しかったんでやんすがねえ。
昔の東京から見ると、何か足りないって話はよく聞きやす。
それこそ、泥臭かろうが、尻に当たろうが、つんのめろうが、
見た目悪くても何が何でも押し込む覚悟って奴なんざ無いんでしょうかねえ。
見た目悪くても何が何でも押し込む覚悟って奴なんざ無いんでしょうかねえ。
あの時間、ゴール前のあの場所に上がった者に、俺が決めきるという覚悟があれば、
もう一瞬、反応が早く、身体ごとボールに当たりに行けたはずなんだよねえ。
もう一瞬、反応が早く、身体ごとボールに当たりに行けたはずなんだよねえ。
また、徳永のは一例として、いつもゴール前で受けたボールを納めてるうちに、
コースをふさがれては、他の選手にボールを廻してるだけというのが目立ちやす。
コースをふさがれては、他の選手にボールを廻してるだけというのが目立ちやす。
確率は低くても、もっとダイレクトに撃っていって欲しいもんでやんすねえ。
ただ、昨年は敵の想定より一瞬早く撃ち切って、結果を量産していたナオに、
彼独自のタイミングが復調してきたのが救いでやんした。
彼独自のタイミングが復調してきたのが救いでやんした。
いずれにしても、どんなに苦しくとも、
J1という国内最高峰のレベルの中での苦しみということに価値あり。
J1という国内最高峰のレベルの中での苦しみということに価値あり。
落ちるわけにはいきやせん。
きっと、ここをチャンスと思う選手が台頭するはずでやんす。
きっと、ここをチャンスと思う選手が台頭するはずでやんす。
城福東京の底力を信じやしょう。