昔、島田荘司さんの本で読んだんでやんすが、旧くは明治時代初期、とうきょうはとうけいだったそうでやんす。
幕府びいきの上方への対抗意識から、東の京と言われるのを嫌ったとも、もともと漢音ではケイが正しい発音とも、諸説あるようでやんす。
いずれにしても、事実であることには間違いありやせん。
さらに、島田荘司さんの本には、東京の京の字が京ではなく、京の真ん中の口の部分は日だったと書かれておりやす。
と言っても、そんな大昔の細かなことなんざ、今の世には関係ないと思うのが普通。
でも、意外に近いところで、その痕跡を見つけたりするわけでやんす。
場所は、昼メシどきに散歩がてらに通る、高輪警察署のお隣り。
高野山東京別院、
と書かれた看板の文字をよく見ると、京の字の真ん中が日だったのを、日の字の真ん中の横棒を消しているのが判りやす。
なるほど、明治から続く歴史の重みを感じさせる看板に、東京がとうけいだった証が刻み込まれて現在に伝わってるんでやんすなあ。
ちなみに、高輪署の横の坂は、「かつら坂」。
なんでも、坊さんが坂を下って花街に遊びに出るとき、坂で転んで変装用のかつらがすっ飛んだから付いた名前らしいでやんす。
とうけいも、なかなかディープでやんすなあ。