青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

終戦記念日を前に

間もなく終戦記念日

これからの時代、少なくとも一年に一回ぐらいは、
戦争の意味を真剣に考える日があって然るべきだと思っておりやす。

若い頃には荷が重過ぎて、なんとなく観るのを避けてきた映画を思い出し、
DVDを借りてきて鑑賞いたしやした。


やはり、とんでもない作品。
全てがドキュメンタリーという鬼気迫る迫力。

右翼や、左翼や、アナーキストとかは、同じ地獄を生き抜いた結果、
異なる立ち位置から見聞したものの違いによる覚悟の相違だと思いやす。

殺人、天皇への暴行未遂および不敬罪と、前科三犯を公言して憚らない、
主人公の戦争に向き合う覚悟は、筋金入りの本物でやんす。

戦争は、人肉食とか、虐殺や慰安婦とかは、それが是の当たり前の世界。
法令が整った平和な時代の理性ある尺度など、何の意味もない世界。

その異常が正常となる裏返しの世界における、人の行為とか言動は、
正常化した後の世界の論理で裁く対象とはなり得ないと思いやす。

それでも生き抜いた人々は、果たせぬ責任と向かい合うこととなり、
大抵の人は貝となって苦しみ、死ぬまで救われることがありやせん。

救われるためには、事実をありのままに後世に伝えることしかなく、
主人公の暴力は、苦しむ人を救済するための手段と見るしかありやせん。

やつがれ世代は全く知りやせんが、やつがれの親世代は、
実際に空襲を受け、学童疎開等を通して戦争を経験しておりやす。

同じ体験をしても経験は異なり、戦争経験のある方々が語る真実は、
全てが異なる貴重な財産となりやす。

お身内におられれば、今のうちに戦争経験をお聞きになってください。

戦争経験は、それを語る方も聞く方も、人類の義務だと思いやす。