青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

靖国問題

タイキャンプを中止したとこと違って、東京は無事キャンプが始まり、
取り立ててのトピックもないようなので、無粋ながら政治ネタを。

首相が年末に行った靖国神社参拝。
その参拝の意味について、今朝の朝日が、首相のコメントを報じておりやす。

「いわゆるA級戦犯を称揚するためではない。そこにはヒーローがいるのではなく、
戦争に倒れた人々の魂があるだけ。憎しみもないし敵意もない…」

「ただ魂を慰霊したい。その人たちに感謝したいという思いがあるだけ。
国のために戦った人に手をあわせるのは、世界のリーダーの共通の姿勢」

少なくとも日本人ならば、その言葉は素直に受け入れられると思いやすが、
立場、視点により、毎々、大変な物議を醸し出す大問題。

この話題になると、甘酸っぱい記憶とともに思い出すことがありやす。

青臭かった学生時代、靖国参拝是非の件で、徹マンの卓を囲みながら、
親友たちと激論を戦わせていたもんでやんす。

やつがれは、若輩にありがちな旧弊価値観を否定する完全なリベラルで、
A級戦犯を祀った神社を首相が参拝するのは許されないと糾弾。

親友の一人は、そもそも伊勢の山々にも関与してる家筋のド保守でやんして、
国のために戦って亡くなった方を祀った神社を参拝するのが何故悪いと譲らず。

当時のやつがれは、第二次大戦前は例え侵略戦争でも個人が裁かれることなく、
個人をA級戦犯として罰することが事後法だと知りやせんでした。

また、東京裁判そのものが、戦勝国側からの論理だけで裁いたものであって、
国際法的に不公平極まりない裁判だったことも知りやせんでした。

単純に、世界がA級戦犯と裁いた者は極悪犯罪者だと信じてしまっており、
それを祀った場所を参拝する行為は、世界に反逆する行為だと思っただけでやんす。

戦前の世界情勢を客観的に見ると、そもそも日本は白人列強に資源の途を分断され、
国の発展のために仕方なく討って出ざるを得なかった状況にありやした。

戦前の日本の人々に、国のために命を捨てて戦わなくても済む道を考えませんか、
と問い掛けられることができるならば、意味があることだと思いやす。

ただ、悲しいかな、歴史に逆行性は全くありやせん。

色々な事実が認識できる後の世になって、言葉の届かない過去の歴史事象に対して、
それが侵略行為だったと批判したところで、何の意味もありやせん。

我々後進の者が、人種に関係なく、人間なら誰もが起こし得る愚かな誤りと認識し、
二度と陥ることのないよう、天に誓って生きていけばいいことでやんす。

欧州諸国が中南米や赤道下の国々の先住民に対して行った残虐な殺戮行為は、
史書では侵略とは書かれず、開拓という言葉に置き換わる矛盾を内包する世の中。

日本だけが、いつまでも重い枷を背負わねばならない謂れはありやせん。

学生時代に靖国参拝を支持してた親友は、今や、現職閣僚になりやした。
この歳になるまで色々な事実を知った結果、今は、やつがれも彼に賛同いたしやす。

国のために戦って命を落とした人々が敬われない国は、真っ当な国とは思えやせん。