タイキャンプを中止したとこと違って、東京は無事キャンプが始まり、
取り立ててのトピックもないようなので、無粋ながら政治ネタを。
取り立ててのトピックもないようなので、無粋ながら政治ネタを。
「ただ魂を慰霊したい。その人たちに感謝したいという思いがあるだけ。
国のために戦った人に手をあわせるのは、世界のリーダーの共通の姿勢」
国のために戦った人に手をあわせるのは、世界のリーダーの共通の姿勢」
少なくとも日本人ならば、その言葉は素直に受け入れられると思いやすが、
立場、視点により、毎々、大変な物議を醸し出す大問題。
立場、視点により、毎々、大変な物議を醸し出す大問題。
この話題になると、甘酸っぱい記憶とともに思い出すことがありやす。
親友の一人は、そもそも伊勢の山々にも関与してる家筋のド保守でやんして、
国のために戦って亡くなった方を祀った神社を参拝するのが何故悪いと譲らず。
国のために戦って亡くなった方を祀った神社を参拝するのが何故悪いと譲らず。
戦前の世界情勢を客観的に見ると、そもそも日本は白人列強に資源の途を分断され、
国の発展のために仕方なく討って出ざるを得なかった状況にありやした。
国の発展のために仕方なく討って出ざるを得なかった状況にありやした。
戦前の日本の人々に、国のために命を捨てて戦わなくても済む道を考えませんか、
と問い掛けられることができるならば、意味があることだと思いやす。
と問い掛けられることができるならば、意味があることだと思いやす。
ただ、悲しいかな、歴史に逆行性は全くありやせん。
色々な事実が認識できる後の世になって、言葉の届かない過去の歴史事象に対して、
それが侵略行為だったと批判したところで、何の意味もありやせん。
それが侵略行為だったと批判したところで、何の意味もありやせん。
我々後進の者が、人種に関係なく、人間なら誰もが起こし得る愚かな誤りと認識し、
二度と陥ることのないよう、天に誓って生きていけばいいことでやんす。
二度と陥ることのないよう、天に誓って生きていけばいいことでやんす。
日本だけが、いつまでも重い枷を背負わねばならない謂れはありやせん。
国のために戦って命を落とした人々が敬われない国は、真っ当な国とは思えやせん。