過日のタイトル(イジメかよ)で、ハッと思ったことがある。
神戸で起こった、あろうことか教師による集団いじめ事件。
被害者は、気弱な方だったし、加害者より若かったかとは思うが、
同じ教師で、かつ立派な成人と聞いている。
それが、一方的にイジメられる事態というのは、報道はされていないが、
もしかすると、同和問題が絡んでいるのではないかと思った。
当方は、東京生まれの東京育ちで、大人になるまで部落差別は、
活字の世界でしか知らず、どこか遠い昔の話でしかなかった。
ところが、大学に入って、関西から来た友人から聞いて、
想像を絶する世界があることを知った次第。
友人によると、中学生の頃、旧部落民かつそれが周知されている!
被差別地区出身の同級生がいて、恒常的にイジメていたとのこと。
面白い遊びが思いつかない下校時は、被差別地区の同級生が住んでいる、
川べりの粗末な家にわざわざ寄って石を投げて遊んでいたという。
石も、小石ではなく、たくあん石のような大きな石を屋根に放り投げ、
まだ潰れないかと悪友たちと笑い合っていたそうだ。
ある日、本当に家の一部が崩れ、それで怖くなってやめたのだそうだ。
驚くのは、それを教師が知っていて、それでも何も注意されることなく、
言っても仕方ない当たり前のこととして根付いていたことだ。
江戸っ子としては、地方には、根の深い暗闇が広がっていることを知り、
ただただ、暗澹たる思いに囚われたことを覚えている。
サッカー界でも、差別・イジメを撲滅する運動を進めているが、
何より、ひとりひとりが、こうした問題に鋭敏にならねばと思う。
でも、実は、これも幼稚園で答を教わっていることなのだ。
「自分が嫌だと思うことを他人にしてはいけません。」
現代では、これもダイバーシティーの問題としても捉えられる。
人は、見た目や出自や人種などは、バラバラなのが当然なのであって、
個々の持ち味を活かしていこうという視点の醸成が大切なのだ。
神戸の問題は、当方の邪推であってくれれば良いと願う次第。