実に不思議でやんす。
人は、人それぞれ種々のことを思うわけでやんすが、
それは最初は、脳内だけの電気信号で思い浮かべるわけでやんす。
それは最初は、脳内だけの電気信号で思い浮かべるわけでやんす。
次にそれを他の人に伝えようという意思が働いたとき、
テレパシー能力がない人々は仕方なく、文字等の記号に変換いたしやす。
テレパシー能力がない人々は仕方なく、文字等の記号に変換いたしやす。
つまり、思うイコール伝わるという短絡な構図はあり得ず、
思った事を伝えて良い事かどうか、一瞬でも考える余地は必ずありやす。
思った事を伝えて良い事かどうか、一瞬でも考える余地は必ずありやす。
ところが世の中には、その文章の本質的メリットを考えもせずに使用して、
粗忽で非常に恥ずかしい失敗をする方が余りにも多くて、理解に苦しみやす。
粗忽で非常に恥ずかしい失敗をする方が余りにも多くて、理解に苦しみやす。
>「世間は騒がしいようですが、ここは、本当に静かです。旨い酒と肴で充電中」
自分の行いを「しよう」と思って、「してしまう」のではなく、「する」前に、
「したらどうなるか」を考えてから行うことは、人として当然のプロセス。
「したらどうなるか」を考えてから行うことは、人として当然のプロセス。
そこで冒頭に戻るわけでやんすが、それでも使う輩がいるのが不思議でやんす。