青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

シロー

実に不思議でやんす。

人は、人それぞれ種々のことを思うわけでやんすが、
それは最初は、脳内だけの電気信号で思い浮かべるわけでやんす。

次にそれを他の人に伝えようという意思が働いたとき、
テレパシー能力がない人々は仕方なく、文字等の記号に変換いたしやす。

つまり、思うイコール伝わるという短絡な構図はあり得ず、
思った事を伝えて良い事かどうか、一瞬でも考える余地は必ずありやす。

やつがれは、一旦口を突いて出た話し言葉は訂正が、効きにくいのに対して、
一言一言を検証しながら記録できる文章の方が、安心だと思っておりやす。

ところが世の中には、その文章の本質的メリットを考えもせずに使用して、
粗忽で非常に恥ずかしい失敗をする方が余りにも多くて、理解に苦しみやす。

特に最近目立つのは、いわゆるツイッターと呼ばれるつぶやきツールで、
本来は心の外に出ない言葉を、不特定大多数に発信してしまう輩が多いこと。

大阪府知事が、自分の任地である近畿各地が豪雨被害に遭っているさなか、
福岡の滞在先で、次のようにつぶやいていたことが糾弾されておりやす。

>「世間は騒がしいようですが、ここは、本当に静かです。旨い酒と肴で充電中」

知事という世間的には大変な要職に就いていて、有識者と思われる者ですら、
物事をその本質で考えていないという事実に、落胆せざるを得やせん。

自分の行いを「しよう」と思って、「してしまう」のではなく、「する」前に、
「したらどうなるか」を考えてから行うことは、人として当然のプロセス。

そんな簡単なことすら判らないまま、文明の利器を使いこなせずに、
墓穴を掘るぐらいなら、ツイッターなんてしなけりゃいいと思いやすがねえ。

そこで冒頭に戻るわけでやんすが、それでも使う輩がいるのが不思議でやんす。