昨日、年間チケットが届きやした。
今年は、宅配便の包みの中は、いつもの素っ気無い箱入りではなく、
青赤用に独自にデザインした
メール便用パッケージ入り。
さらに書類は、青赤代表戦士で飾られたクリアファイル入りという凝り様。
素晴らしいでやんす。
2015シーズン、ホーム開幕戦まで一ヶ月を切りやした。
また、録画したままで、まだ見ていなかった、
CXの「
世にも奇妙な物語'14秋編」の出演作品も拝見いたしやした。
伸びのある透明感のある歌声と、演技も付け焼刃的なものではなく、
プロに必要なものがもとから身に付いている感じでやんした。
ひとことで言えば、素晴らしく才能に長けたお嬢さんでやんすな。
基本的には、開幕ゲストだし、万全のウェルカムでお迎えしたいところ、
正直、どうしても受け入れ難いところがあって困っておりやす。
それは、彼女が作詞に名を連ねる
「瞳」の歌詞。
一番良いサビの部分で、「君と一緒にいれること」で思いっきり興ざめ。
君と一緒に、いったいどこに何を入れるんだよ、と突っ込みたくなりやす。
ここは、
ら抜き言葉を使わず「一緒に居られる」と歌いあげて欲しいところ。
可能を表す場合は、「食べれる」ではなく、「食べられる」が正しいと、
やつがれは小学生のときに、先生から「
ら抜き言葉禁止」を習いやした。
なので、
ら抜き言葉の使用の是非に係る文法的議論は差し置いて、
とにかく、
ら抜き言葉を聞くと、頭の悪い人だ思ってしまうわけでやんす。
はっきり言って、同学年以上で「
ら抜き言葉」を使う子は低能児ばかりで、
学校全体では、まだ習っていない低学年の舌足らずな子供だけでやんした。
同学年の嫁にも確認しましたが、やはり、今回の
「瞳」を聞いて、
やつがれ同様、「いれること」の歌詞が耳障りだそうでやんす。
「
ら抜き言葉」の使用者=頭の悪い方もしくは幼児、という構図が、
やつがれ世代の頭には、しっかり組み込まれてしまっているわけでやんす。
やつがれ世代は、色んなことを学校の先生から教わりやした。
先日の「
建国記念の日」は、決して「
建国記念日」ではないことも、
「てい字路」はアルファペの「T」でなく、甲乙丙の次の「丁」だとか、
「十点」は「じゅってん」ではなく、「じってん」と読むとか。
仮に将来、「
ら抜き言葉」は正しいと
オーソライズされたとしても、
やつがれ世代に染み付いた先生の教えは、死ぬまで離れないと思いやす。