緑の選手が、試合中に人種差別発言をされて、試合後に暴れたとか。
サルもしくはチンパンジーと言われたのか、サルを表すジェスチャーをされたのか、
報道がマチマチなので何があったのかは判りやせん。
発言者側の差別の意思の有無と、言葉の受領者が差別と感じたか否かとで、
最大4つの組み合わせがあり、どの類型に入るかで論じ方が違って参りやす。
さらに、言葉の受領側が差別用語にどれだけセンシティブかという、
いわば主観には幅があるため、一律には論じにくいという要素もありやす。
まあ、発言者の善悪なんてえことになると簡単には判定できるものではなく、
不明な事実が多いため、ここでは棚上げさせて頂くしかありやせん。
なので、白黒付けるような論議は他の方々に譲るとして、
実は、差別問題を解く答は、幼稚園で教わったことに尽きているわけでやんす。
「ヒトが嫌だということは、言ってはいけません(やってはいけません)。」
だから暴れたりせずに、不快になるから言わないでくれと言えば、
悪かった、もう言わないと返ってくるだけの話なんだと思いやすがねえ。
その本質論での切り口とは別に、敢えて言うなら、
主張のしかたに、立脚している文化の違いが見えたような気もいたしやす。
日本の恥文化の価値観では、例え正しい主張でも、敗戦で声を荒げたのでは、
負けた腹いせに暴れていると揶揄されてはみっともないと思うわけでやんす。
ならば、腹にぐっと飲み込んで、次は絶対に勝って、
どうだサルの力を思い知ったかと言ってやるほうがカッコいいわけでやんす。
そんな忍の一字を理解できるのは、日本人だけなのかもしれやせん。