青赤亭ギョタ郎@下高井戸のブログ

FC東京をこよなく愛し、心から応援するブログ

東京ダービーの真の意味

さあ、今日は東京ダービー

東京ダービーと呼ばれておりやすが、我々の相手は川崎ヴェルディであって、
ニセ東京には絶対に負けられないわけでやんす。

遡れば、川淵チェアマンの掲げた「地域密着」理念を徹底するため、
Jリーグ発足時に、「東京」に本拠地を置くことは許されやせんでした。

当時、東京をローカルに生まれ育った者にとって、
東京に愛するべきクラブが無いというのは、ホントに残念でやんした。

それでも、当時、やつがれの居た会社がJクラブを持つということになり、
地域に愛着は無いものの「横浜フリューゲルス」に熱狂したもんでやんす。

そのフリエとも、川淵さんの涙とともに、色々な思いを呑みこんで、
お別れを告げるしかありやせんでした。

それとほぼ同じ頃、やっと東京をホントのローカルとしていて、
本拠地が東京であることを認めざるを得ないクラブが立ち上がりやす。

それが、東京ガスを母体にした、「FC東京」。
やつがれにとっては、フリエの生まれ変わりとしか思えないクラブ。

一方、傲慢で何でも思い通りにしようする巨人と同じ体質を持つクラブ。
それが、いわずと知れた「讀賣クラブ」から移行した「川崎ヴェルディ」。

ヴェルディは、稲城市川崎市に跨ったよみうりランドを拠点としており、
本社設立登記をわざわざ稲城市にして、東京が本拠地と主張。

川渕チェアマンにどうしても認めてもらえず、
未練たっぷりのまま、川崎を本拠地とすることを呑んだわけでやんす。

ところが、川崎本拠を納得したはずなのに、等々力で試合をやりたがらず、
川崎での地域密着活動もないがしろにして、川崎市民からも愛されず。

その後、川崎に生まれたフロンターレは、ヴェルディを反面教師に、
地域密着活動を行い川崎市民の誇りと呼ばれる地位を確立いたしやした。

思いあがりの甚だしさの最たる象徴が、「川崎ヴェルディ」でなく、
「FCニッポン」という呼称をゴリ押ししようとしたこと。

そして、苦労してローカル東京の活動を経てJクラブ参入を果たした、
「FC東京」が生まれると、恥知らずにもヴェルディが動きやす。

東京設立を断られた浦和レッズが、浦和の地域密着で大成功して、
東京移転なんか完全に忘れ去ったのと全くもって、好対照。

ヴェルディは最初から東京で、川崎なんか全然ホームと思ってないと、
東京移転をゴリ押しして、無理やり東京に割り込んできたわけでやんす。

川崎市には何の相談も挨拶もなかったようにさえ、聞いておりやす。

たぶん、東京にさえ移れば、「FCニッポン」で簡単に集客できて、
TV視聴率を頂けると皮算用に喜び、舞い上がってたんでしょう。

でも、その日本テレビの編成局長が、サッカーは野蛮なスポーツと公言して、
結局は、深夜放送帯での細々とした放映に廻される始末。

TV屋を使った全国区活動を主たる活動にしようとして、
大事な地域密着活動をないがしろにしたツケが、集客力に表れやした。

FC東京との集客力の違いを見て、TV屋が方向修正できなかった結果、
クラブ存続すら危うくして、讀賣がスポンサーから逃げ出して終わり。

とするべきでやんした。

それを、全クラブに関わるJリーグの貴重な基金4億6千万円を持ち出して、
Jリーグ事務局から、ヴェルディの社長になった酔狂な輩が現れ、存続。

当時、Jリーグの中には、ここで潰した方がJリーグのためになる、
という意見もあったと聞きやす。

何故、ヴェルディを救って、フリューゲルスを見殺しにしたのか。
川淵チェアマンの涙を、Jリーグ自体で汚したとしか思えやせん。

やはりサポーターも決して烏合の衆なんかじゃなくて、
よく判ってるからこそ、今のFC東京との集客力の差なわけでやんす。

Jリーグの歴史をきちんと知っている者にとっては、
ヴェルディを応援することは理解不能で、ただ消滅を願うのみでやんす。

だから、今のヴェルディのサポは若くて殆ど歴史を知らないか、
たまたまホントに稲城辺りの地元密着型サポだけなんでしょうねえ。

なので、我々真の東京サポとしては、他の地域のダービーとは全く違って、
相手の存在を認められないという強い思いで臨むダービーなんでやんす。

お互い良いライバルで行こうだなんて、甘っちょろい考えは全く無し。
ただ、相手が消滅するまで、戦い続けるだけ。

だから、負けられないと叫ぶんでやんす。

だから、熱いんでやんす。