Jリーグのヴェルディを目の前で初めて見たのは、
1992年、Jリーグ発足前年の秋に開催された菓子杯に遡るでやんす。
発足時の10チームによる総当りで行われた変則的なカップ戦でした。
やつがれが国立に観に行ったのは、ASフリューゲルス対ヴェルディ川崎。
記憶は不確かですが、たしかカズに決められて負けて悔しい思いをし、
その菓子杯はヴェルディが優勝し、フリエはビリっけつとなったのでした。
もともとガキんときは、やつがれは巨人ファンでした。
でもそれも、TVで巨人戦しかやらず、巨人以外はよく知らないからでした。
長嶋監督解任をきっかけに、なんでおいらは巨人ファンなんだろうと自問し、
マスコミによって巨人ファンに仕立てられていたことに気付きました。
本来、報道を職業にする者は、公平な目を持たねばならないのに、
巨人はトップでなければ、とする傲慢な読売の陰謀が見えるようになりました。
結果、巨人が、そして読売が大っきらいになりました。
高校のとき、親に頼んで、新聞を読売から朝日に変えてもらいました。
大学のとき、中日、大洋、ヤクルト、日ハム、南海、ロッテと、
あまたの魅力あるチームの試合を観に、スタンドに足を運びました。
小松や村田の剛球、門田や大杉の号砲、神宮の東京音頭に痺れました。
漫画も、マイナーだったパリーグを舞台にしたあぶさんが好きになりました。
その間、巨人が他チームの成功者を金でかき集める体質を強めていくのを、
これでもかというぐらい見せつけられ、ますます読売が嫌いになりました。
そんな読売がつくったサッカークラブ。
金でスターをかき集めた、まさに読売らしい派手なクラブ。
人を見下したような、憎たらしいコンドルがマスコットキャラのクラブ。
初ょっぱなから、大っきらいでした。
それに輪をかけて、Jリーグの理念を真っ向から否定して、
川崎の地元サポの人々を切り捨てて、東京に押しかけてきたエゴ軍団。
それでさらに、大の大の大で大っきらいになりました。
でも、そのヴェルディも今では、親会社の読売新聞には切り捨てられ、
かろうじて日テレでつながるものの、放映はど深夜に追いやられる始末。
全盛期の面影が全く無いチームになってしまいました。
また、そうした経緯を全く知らない世代が増えてきました。
そして、土肥ちゃんと若頭が加入しました。
やつがれの心の中に、そろそろヴェルディは赦してもいいんじゃないか、
と思う芽がすこし顔をもたげてます。
ただ、やっぱり目の前で緑を見れば、間違いなくこう叫びやす、
「ヴェルディだけには負けられない」と。